令和元年 崇徳天皇と香川にまつわるおはなし

元号が令和になってはや2ヶ月、
四国は遅い梅雨入りで雨の日と晴れの日が交互にやって来るような毎日になっております。
そんな梅雨の間の晴れ間の中、
地元ネタを探して冒険に出てみた四国トラステックの鴨田です、こんにちは。

こちらは香川の国営まんのう公園で撮ってきた芝生で作った?令和です 笑

さて、平成から令和に替わるタイミングは天皇陛下(現上皇陛下)が退位されるときでしたよね。
元号→天皇陛下→地元ネタということで、
香川にゆかりのある天皇陛下といえばこのお方!
第75代天皇 崇徳天皇ゆかりの地を訪ねて参りました。

崇徳天皇というと、日本三大怨霊とか史上最大の怨霊だとか言われていたりもしますが、
なにぶん平安時代のお話なので後々様々なエピソードと混ざり合い、
そのような存在として認識されるようになったのだと思います。

日本史を受講したことがあれば、
保元の乱(1156年)で後白河天皇との争いに敗れ、
首謀者として讃岐(現在の香川県)に配流になったということは聞いたことがあると思います。

崇徳天皇は保元の乱以前より父である鳥羽天皇から冷遇されており、
皇位継承問題や摂関家の内紛に巻き込まれ、
朝廷内でも後白河天皇と分裂し最終的には敗北してしまい…
という悲運の天皇というイメージでもあります。

「保元物語」によると讃岐に配流になってのち、
数々の不遇の扱いに激怒し、
下を噛み切りその血で
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
と経を書き残したとされています。

保元の乱をきっかけに武士が台頭し始め、
朝廷が弱体化したことから崇徳天皇の言葉通りになったとすれば、
怨霊の力だと恐れられるようになったのも無理はないのかもしれませんね。

さて、高松市の五色台という山に四国唯一の天皇陵である崇徳天皇陵(白峰御陵)があります。
まずはここからお参りさせて頂くことに。
第81番札所 白峰寺の脇を入っていくと整然と整備された道が現れます。

……!!!!
これ登るんかーい!!
という心を奮い立たせて登ってみると、
アレ?なんだか足取りが軽いぞ…すっごく楽に登り切ってしまいました。

御陵にお参りして、もちろん「お写真も撮らせてください」とお願いしました。
いや~、不思議です。
清々しい気持ちになって足取り軽く次へ向かうことができました。

五色台を下って次は予讃線八十場駅の近くにある第79番札所 天皇寺へ。

こちらは崇徳天皇の冥福を祈って建立されたお寺です。
お寺ですが門構えは鳥居さん。
崇徳天皇のために建立されたことが一目でわかります。

天皇寺からほど近く、こちらも崇徳天皇ゆかりの地として、
有名なところてんやさんです。

県内外から多くの人が訪れます。
古くより不思議な力のある霊泉として知られ、
崩御された崇徳天皇のご尊体をこの泉にひたして損腐を防いだとされています。

もちろんところてんも頂きます。
これがものすごく美味です。

メニューも増えていましたので、香川県にお越しの際はぜひ。

香川県内にはさらに多くの崇徳天皇のゆかりの地があります。
皆さんご存知金刀比羅宮の本宮にもお祀りされています。
そう思うと、香川の人間にとっては怨霊などというイメージとは程遠い人物像が浮かんできます。
これを機に色々調べたりしましたが、
歴史と現在残っている史跡との繋がりを体感することができました。
他の場所も訪れてみたいものですね。

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